後輩筋の知人から本が送られて来た。知人のご親族が作家で、新著が出る度に送って下さっている。今回は解体新書や蘭学事始で有名な18世紀江戸時代の若狭国(福井県)小浜藩の医師杉田玄白の生涯を描いた書だ。
若狭おらんだ草紙 医聖 杉田玄白の生涯 岡村 昌二郎 若狭史学会 小浜市出身・在住のこの作家の作風は、小浜に関連する歴史上の人物の史実を徹底調査した上で、それに虚構を加えて小説化する。即ち史実に出来るだけ忠実で、しかし歴史資料に出て来るはずがない人間味が描かれている。今回は、小浜藩江戸藩邸の医師の家に生まれ、江戸と小浜で育ち、勤務し、蘭学に励んだ杉田玄白と、周囲の人々が描かれている。但し本書のご紹介は本稿の意図ではない。詳しくは本書を参照されたい。
杉田玄白(1733-1817)は数えの85歳の長寿を全うした。晩年は俺は幸せ者だと9項目を挙げ「九幸老(きゅうこうろう)」を自称したという。
1.太平に生まれたこと。2.都下に長じたこと。3.貴賤に交わったこと。4.長寿を保ちたること。5.有禄を食んだこと。6.いまだ貧を全くせざること。7.四海に名だること。8.子孫の多きこと。9.老いてますます壮なること。
ふむ。私は杉田玄白に遠く及ばず、四海(四方の海に囲まれた国内)に名だたることも無かったが、幸せ感においては劣る所は無いかも知れない。その証拠に、9項目よりも多い10項目を挙げることが出来る。但し81歳にあって未だ老人の自覚に乏しく、学びの過程にあるから、「十幸生(じゅっこうせい)」とでも言わせて貰おうか。
<心身>
P1.平均以上の、理解力、論理力、語学力、努力できるという才能。
P2.衰えが遅い心身。今のところ健康。
<家族>
F1.戦中戦後の困難の中で最優先で育ててくれた両親。
F2.健康で癒し系で料理好きの賢妻。息子2人を生み育ててくれた。
<教育>
E1. 心技体を鍛えてくれた中学校。
E2.大学・大学院(留学)に恵まれた。
<職場>
W1.設計手法、管理手法、経営手法を学ばせてくれた職場の人々。黎明期から成長産業に居て面白かったし得をした。
W2.外資系で老後に困らない蓄えを得た。
<人格形成>
C1.祈ることを教えてくれた無教会派の賢人先達たち。
C2.自身を研究し操縦し良い方向に努力させるノウハウ。
幾つかの項目に注釈させて頂こう。P1:私は努力家を自称している。努力は意思でもできるが、努力できるという一種の才能でもあると感謝している。F2:数年前に妻の親戚一同の前で言ったことがある。「恥ずかしいから1回だけ言わせて頂きたい。幾多の縁談にも拘わらず、先行き不透明な貧乏サラリーマンに最愛の娘・妹を嫁して下さったことに深謝。幸せにさせます。」 私の健康は妻の手料理のお蔭だ。E1:成長期に文武両道を言う偉い先生が2人居て、野球・リレーの選手になれた。E2:留学嘆願書の許可に動いてくれた恩人は牧野雄一技術部長。しかし1年で帰任せよと言われたので、1年で修士をとって帰国。それが後の工学博士の礎に。その経験から東芝は留学制度を創設した。今大学・大学院には恩返し中。
W1:管理手法は塚田照雄氏、経営手法は棚次富王氏・都築公男氏に学んだ。C1:入学早々の大学祭で、内村鑑三氏の最後の直弟子矢内原忠雄氏の「真理を学べ」という講演を真に受けた。一門の聖書研究から多くを学んだがクリスチャンにはなれ(ら)なかった。C2:自分自身をどのように考えさせれば良い方向に努力させられるかに関してベテランになった。
十幸生は自分の幸せに感謝しつつ恩返しの努力中だ。世の中に役立っている限り天は心身の健康を維持して呉れるという迷信を信じて。 以上